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私の話

プロフィール

こんにちは!占い師の光子です。


ブログを始めて1年以上経ちますが、ここで改めてプロフィール記事を書きました。
ブログの読者さんにとっては「知ってるよ!」な内容が多いと思いますが、よろしければお付き合いください(^^)

もくじ

幼少期

1986年、丙寅の年に、ドラえもんのような父と、篠田麻里子と安田成美を足して2で割ったような母の間に、岡山県で生まれました。

父方の祖母は「千里眼」と呼ばれるような、未来のことや、わからないはずのことがわかる人で、更には今で言うヒーリングができる人でした。(「手のひら療法」と本人は呼んでいました)
でも仕事にしているわけではなく、いたって普通の料理上手の江戸っ子おばあちゃんでした。

母も見えないものが見える人で、よく
「職場の主が来てた」
みたいな話をしていました。


では私はというと、そういうものとは全く無縁の子どもでした。
不思議なものは全くわからない、真っ黒に日焼けした、ただの食いしん坊ちゃんです。
少し変わったところと言えば
「本当に存在しているのは私だけで、映画を観ているように、人生を体験しているだけではないだろうか」
というようなことを、年がら年中考えていたことと、自分の内側に自分を監視する、もう一人の自分がいたことです。
他は至って普通の、元気な子どもでした。

それが11歳の時に、ある日突然、原因不明のめまいが起こるようになり、それからは23年間
「あ゛ー、今日もしんどい…」
と毎日思って生きていました。

(詳しくは→私の話①幼少期

10代の頃

原因不明の体調不良と付き合いつつも、13歳の時、妹が生まれたのをきっかけに、両親の過保護・過干渉から逃れらるようになりました。おかげで非常に生き生きしていた記憶があります。

高校ではバンドに明け暮れ、授業中は寝て、放課後になると起きて音楽をやって、家に帰ってからもずーっと音楽をやっている、というやりたい放題の生活をしていました。

そして16歳のある日突然、少し先の未来や、わからないはずのことがわかるようになります。
突然の変化を遊び感覚で楽しんでいるうちに、生霊に追いかけられたり、得体の知れないものに体を乗っ取られたり…
とにかく怖い体験をたくさんしました。

ここから「目に見えないものとどう付き合うか?」という私の試行錯誤が始まります。


そして10代の頃にお付き合いしていた彼氏くんたちに
「こんな不思議なことがあった」
「この世界はこんな仕組みでできているんじゃないかと考えた」
のような話をしていたのですが、誰に話しても
「そういう話はしないでほしい」
と言われます。

この彼氏くんたちとの会話をきっかけに
「このことは隠しておかなければいけない」
「こんなことを言っている私は人に愛されない」
と自分を偽って生きていくことを決めました。

(詳しくは→ 霊感が強くて困っている人へ

大学生の時

「音楽か哲学しかやりたくない」
という全く将来を考えていない進路選択の元、パンダがいる動物園の隣にある某芸術系大学に、奇跡的に合格します。

私みたいに宝くじが当たったように入る人は、まれです。
何浪もする人もいるような、精鋭集団の競争社会に、私はついて行けませんでした。

自分の能力の低さ、友だちは全員ライバルであること、先生方や先輩からの圧力…これらに耐えられずに、メンタルを病み、休学します。
一時は大学の最寄り駅の改札を通ることすらできず、行くことが心から怖かったです。

この大学で出会った、クレイジーかつ天才的な先輩(後にADHD兼ASDと判明)とお付き合いし、彼に付き添っていろんな音楽の現場に行って、たくさんの人に出会いました。

大学の最寄り駅を出られなかった時、この彼が無理やり私を引っ張って、改札を通し、
「ほら、通れたじゃん」
と荒療治で大学に連れて行ってくれたこと、そして教授陣の優しさで、なんとか5年かけて卒業します。


この彼とは、目に見えないものの受け取り方は異なるものの、同じものを認知できる者同士として、とても居心地がよかった部分がありました。
そして天才だし、ケーキ分けてくれるし、好きな顔だし、センスいいしw
でも、純粋な気持ちは続かず、
「彼のサポートをすることが自分の価値を高める」
というような歪んだ考えを私が持つようになり、二人の関係はだんだんと歪んでいきます。

(詳しくは↓
 すでに偉業を成し遂げている 前編 後編
 共依存ってこんな感じでした①

大学卒業後

就職率がすごく低い大学だったものの、私は就職しました。
それは余命宣告をされていた母のためでもあり、
「この人と生きていくなら、私は就職しよう」
という二人の未来のためでもあり、音楽のことを考えるのが、ほとほと嫌になっていたためでもありました。

24歳で母を見送り、当時11歳だった妹の母代わりとなります。
この頃、
「どうして私は遊べないの?仕事を定時で切り上げて家に帰ってご飯を作らなきゃいけないの?」
と不満が溜まっていました。
(でも母が闘病中の大変さからしたら、大したことなかったかな…)

不満を解消するには、名実ともに母になることだ、と漠然と思い、
「この人と幸せになる」
という決意も、約束もないままに、大学の時からお付き合いしていた彼と結婚します。

そして娘と息子が生まれるも、32歳で離婚しました。

20代の頃のスピな話

当時の私は何の結界も張っておらず、何でも受け入れるスポンジのようでした。
人の悪意はまともに食らうし、誰かが悲しい思いをした場所もダメ、人の悪口も、霊的な話も、引き寄せてしまうから全部ダメ。

自分で祓う方法も知らなかったので、ついたものをいかに流すか、やばいものはいかに避けるか、に苦心していました。
その中で
「人の悪口は言わないに限る」
というのが、私が見つけた1つの法則でした。

誰かの悪口を言うと、ものすごい速さで、ベチャッ!!という勢いと共に、自分が出したのと同じだけの塊?悪意?が自分に返ってくるのです。
この頃から、悪口大会には乗らない、悪口は言わない私が作られていきました。

そして私が本気で怒ると、私が何もしなくても不思議と、怒らせた相手が大怪我をしたり、憂き目にあう、ということが続きます。彼氏くんにも
「光子ちゃん、こわい…」
と本気で恐れられました。

「私が感情を大きく高ぶらせるとまずい、このままじゃ人を殺してしまう」
と本気で感情を動かすことがないように、怒ることがないように、努めるようになりました。

でも
「怒ったらダメ、悪口を言ったらダメ」
なんて、人間としてどうかしてると思いませんか?
更には毎日体調が悪くて、家族の世話をしなければならなくて…

「普通に健康で、海行ってはしゃいだり、バーベキューして楽しんだりするような人生が、どうして私にはないのだろう」
とよく思っていました。
(今でもたまに思います)


また、不思議な出来事は、たくさんあったものの、
「不思議なことたくさんあるなぁ」
くらいにしか思っていませんでした。

母から抜け出る魂と迎えにきた光自分に入ってきた光神棚の前で突然聞こえた声、などなど、たくさんの不思議を経験しつつも、霊能者や霊感が強い人というのは、自分とは別世界の人だと思っていました。

気づき始めた時

きっかけは何だったのか覚えていないのですが、高校生の時からの親友ちゃんのひとりに
「不思議なこといっぱいあるなぁって思ってたんだけどさ、もしかしたら私みたいな人を霊感が強い人と言うのかもしれない」
と話しました。
すると彼女が
「はい??今頃何言ってんの?そんなこと高校の時から気づいてたよ!!!」
と言ったのです。

私は、衝撃でした…ショックでしたね。
「早く教えてよー!!」
と言いました(^^;)

この時、31歳でした。不思議体験が始まってから15年が経っていました。

当時は気づいていなかったものの、この年は四柱推命において大運という10年ごとの運が変わる年に当たっていました。
大運変化の年の中でも、30年に一度だけ来る、人生のステージが大きく変わるタイミングです。

気づいたのが31歳、離婚したのが32歳。
ここが私の人生の大きな転換期に当たっていました。

占いを学び始める

私が占いを始めたのは、占いが好きだったからでも、占い師になりたかったからでもありません。
世界を揺るがしている疫病の影響で、子どもたちと何日も家にいた時に、図らずも内省してしまったのです。

「不思議なことや目に見えないものと、近いところにいる自分を、ずっと抑え込んで、いないもののようにして、本当にこの生き方でいいと思ってる?」
と心の内から湧いてきました。
そして、とても悲しくなりました。

不思議なものと近い私のことも、認めてあげたい、息ができるようにしてあげたい、と思い、どうしたらいいかな、と思っていたところ、
「占いやってるってことになれば、多少不思議でも許されるかもしれない」
と思いついたのです。

「息ができるようになるために、占いをやる」
順番はいろいろおかしいですが、これが本当の本当の動機でした。
そして思えば、子どもの時、避けていたものの、占いってものすごく気になる存在だったのです。


始めてタロットを手にした時、雷が落ちたように全身がビリビリして、同時に不思議なものを受け取る力も爆発的に上がりました。
一時は、毎日のように神棚の前で声を聞き、神様のご尊顔まではっきりと見えてしまう状態…
正直この時の2カ月は、とても向こうの世界に寄っていた、危ない時期だったと思います。


今の私がこの時の私より、霊的な能力が勝るのか、劣るのかで言えば、正直、劣る部分も勝る部分もあります。

今は必要のない時は話せませんし、お顔は見えません。
でも今は、コントロールができている状態で、必要な時にだけ、必要なことを受け取っています。

例えば、まぶたをずっと開けておくことはできないですよね。
でもこの2カ月はずっとまぶたがあいているような状態で、今は、必要に応じて開けたり閉めたりできる状態なのです。

強い猛獣に振り回されていたのがこの2カ月で、今は猛獣を飼いならす、猛獣遣いになった、ということです。


そして、1年間かけて学ぶ内容を、1カ月に詰め込んでもらい、のめり込むようにタロットの勉強をし、学び始めて1か月後には、無料で友人・知人の鑑定をするようになりました。

四柱推命を学ぶ

タロットの師匠からの紹介で、四柱推命の師匠を知り、お試しの講座を受けました。
西洋占星術のことは、何回聞いても覚えられない私が、不思議と四柱推命のことは一度聞いたら忘れないくらい、頭に入れることが出来ました。
(12星座すら、順序正しく言えない私です(^^;))

その後、私の条件にぴったり合う形で、初級編・中級編と四柱推命の講座が開催され、こちらものめり込むように勉強しました。
タロットとは違う、知的な面白さ、古人の蓄積してきた知恵を応用する面白さでした。

初級編・中級編の最後には、テストがあるのですが、初級編は過去最高得点、中級編はケアレスミスがなければ最高得点だったそうで、
「もう鑑定できるだけじゃなく、教えられるよ!!」
と畏れ多くも、背中を押してもらいました。

そして学んだ四柱推命で、これまでの自分の人生の流れを検証したことが、自分の生きづらさの源を知るきっかけになり、ずいぶんといろんなことが楽になりました。

本当に気づいた時

まだブログでは書いていないのですが、脳脊髄液減少症で立ち上がることもできなくなったちょうど1カ月前に、実は初めてのお伊勢参りに行きました。

実はこの時に、不思議なことが起き、それをきっかけに
「あれ?私、不思議なもの・目に見えないものがわかる力を、自分だけのものにしているのって、間違っているかもしれない…」
と気づいたのです。
それまでは、いらないもの、なくなってほしいものとして、自分の内側に秘めていたのです。
でも、周りを見ると私のようになっている人は一人もいない…

それまでも、占い楽しいな、占い師になったら楽しいだろうな、とは思っていたものの、それが自分のやるべきこと、やりたいこととは、本気で思ってはいませんでした。
そしてこの時に感じたのは
「占い師にならなきゃ」
ではなく
「ありがたく受け取らせてもらえること、教えてもらえることを、活かさなきゃ」
でした。

この時初めて、
「私のやることは、本当はこっちかもしれない」
と気づきました。

病気になる

実は、気づく少し前から、ほとほと職場が嫌になるような、いられなくなるようなトラブルが続いていて、
「これは、もうここにいたらいけない、ってことなのかな」
とうんざりするような気持ちで思っていました。

でもシングルマザーだし、占い師でやっていける保証なんてどこにもない…
だから抗い続けていたのです。

伊勢での気づきもなかったことにして、耐えて耐えて、職場にい続けようとしていた最中、自力で立てない・めまいが1秒も止まらない、という症状に襲われました。

後に、この時の症状は、11歳からの原因不明の体調不良が、悪化しただけ、とわかります。そして体調不良に【脳脊髄液減少症】という病名がつきました。
(脳脊髄液減少症についてはこちら


ブログでも書いたのですが、この時、私は死ぬことになっていたのだと思っています。それが病気と言う形で延命した、今は足してもらったロスタイムを生きているのだろうと思っています。
(詳しくは→ 満足するにはどうするの?

完治が難しい病気と知りながらも、占い師になるのが怖くて、やっぱり治ると信じて職場に籍を置き続けよう、と何度も葛藤しました。

けれど、占い師になろうと決めると見えない後押しが入るのに、やっぱり退職しないと心が揺らぐと、次なる試練が与えられました。

最後は
「やらないなら死んでもらうよ」
ほとんどこんな圧力を感じながら、退職し、占い師になることに決めました。

占い師になる

とても迷って飛び込んだものの、自分の短所だと思っていたことが、占い師としては長所になることに、じきに気づきます。

例えば10代の頃から何度も言われてきた
「光子ちゃんの言葉は刺さる」
「光子ちゃんの言葉は(潜在意識に)すごく入り込む」
「こんなこと話すつもりなかったのに、気がついたら話していた」
こんな言葉たち。

相手の意図がどうであれ、これらの言葉を聞く度に、私は申し訳ない気持ちになりました。
相手の心に土足で入ってしまったような、人としてのコミュニケーションを、また失敗してしまった、という気持ちになって、無意識のこととはいえ、いつも落ち込みました。

でも占い師なら、誰にも話さず心の内にしまいこんでいたことを聞くのも、相手の意識に強く入り込む言葉を発してしまうことも、見えないものとのつながりが強いことも、すべて長所になるのです。

このことに気がついた時に、なんだかとても嬉しくなりました。

光子ちゃんのこと

幼少期のパートで、「自分の内側に自分を監視する、もう一人の自分がいた」と書きましたが、その後もずっと二人でひとつの体を使っていました。

とはいえ、お互いに会話をすることもなく、ただ分離して、ひとつの体に二つの意思を持った人格がいるだけ。
それが私たちの在り方でした。

状況が変わったのは、退職の少し前に、大学の時からの仲の良い友人の鑑定をオンラインでさせてもらった時です。
彼女が私を見て
「すごい雰囲気変わったね」
と言うのです。

驚いて、自分が写っている小さな画面を見ると
「え、この人だれ??」
と思いました。

そう、映っていたのは、この文章を書いていた私ではなく、交代人格の光子ちゃんでした。鑑定の合間にたまに画面を見るも、映っているのはずっと光子ちゃんでした。

入れ替わったのは、鑑定を終えて、友人としての日常会話を始めた時です。
突然、私が知っている私の顔に戻りました。

この時、鑑定の途中に記憶がない時がある理由に気づき、そしてとても怖くなりました。
「何かが憑依している」
こう思ったのです。

そして一時は、交代人格を排除しようとがんばったり、ケンカをしたりしながら、今は憑依ではなく、もう一人の私なんだ、これが私たちの在り方なのだと受け入れています。
(詳しくは↓
 もうひとりいる
 自分を愛すること

占い師になってから そしてこれから

占い師になってから、同級生やかつての同僚などに「占い師になった」と報告すると
「やたら腑に落ちる」
「すごく向いてると思う」
「なんか納得した」
など、想像以上に肯定的な言葉をもらいます。

そして鑑定させいただくたびに、
「私のやることは、これだったんだ」
という気持ちになります。
だからお客様の存在に、私自身も救われている、育てていただいている、といつも思います。


ブログやYouTubeでは、必ずしも占いに関係のないことを書いているのは、占い師としてビジネス的にうまくいくことが、私の目的のすべてではなく、
【目に見えない存在との関りで、私が知ったこと】
【『これを伝えておいてね』と賜ったこと】
をたくさんの方にお届けするのが、私が本当にやりたいことだからです。

だから鑑定はひとりひとりのお客様が、ご自身に必要なことを受け取る場として、ブログやYouTubeは、神様が教えてくれたことや、見えない世界のことを、たくさんの方に伝える場と捉えて、活動しています。


そして、10代の時に決めた「自分を偽りながら誰かに愛される」ことよりも、ありのままの自分で、誰かの力になれる自分であることの方が、ずっとずっと幸せなことで、本来、私の魂が望んでいたことなのだ、と今は思います。

さらには、占い師になる前に感じていた「やらないなら死んでもらう」という圧力は、かならずしも私の外側にあったものではなく、本来こうなること、こういうお役目を持つことを望んでいたのは自分自身なのではないかと思います。
(詳しくは→ 『お役目』の見つけ方



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