こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。
今回は不思議な話は基本的に出てきません。
表題の通りの話を書こうと思うのですが…
私が「シングルマザーの恋愛事情」ということを考えたのは、ひとつには、今年の夏休みに、子どもたちのこれまでには感じたことのない成長を感じて、
「この子たちに、もう《お父さん》は必要ないのかもしれない」
とふと、思ったからでした。
これまでは、
「守るべきものがある私」
ということで、
「子どものお父さんになってくれる人でないと、お付き合いできない」
とガチガチに思ってきていたのですね。
離婚してからずいぶん経つので、もう7年くらい、そう思ってきていたのですが、人に話してみると、どうやら多くのシングルマザーが、私と同じように思うようなのです。
ところがこの夏休み、この考えはもういらないんじゃないか、と思ったのです。
子どもの《お父さん》はいなくたって、子どもたちは私の手の及ばないところで、自分なりに人生を切り拓いて、大人になっていくんだ、と大きな流れや成長を感じたのです。
それは、いい意味でも、そして悪い意味でも、ですね。
自分の庇護下、言い様によってはコントロール下に置いておける段階では、もう段々なくなっているんだな、ということです。
もちろん身近な人、特に大人から受ける影響はあるでしょうし、《お父さん》が絶対に必要ないわけではありません。
とはいえ、日々の生活の中で、学校や課外活動で、たくさんの人と出会い、過ごし、影響を受け、彼らなりに何かを学び取って、考えていっているうちで、「家庭」というものの重要性が、これからますます小さくなるだろう、という予感です。
そして
「《お父さん》が必要ないのなら、私は私の好きな人とお付き合いしたらいいじゃないの」
と、なんだか単純なことに気づいたような、虚をつかれたような気持ちになったのです。
ところで、《お父さん》が必要だと思っていた過去7年の私には、
「絶対に失敗できない」
「結婚できない人とは付き合わない」
という強い気持ちがありました。
でも、恋愛で絶対失敗しない(お別れしない)って、最初からわかって始まるお付き合いって、あります??
今のところ、「始まって、そして終わりを迎えなかった恋愛」って、私にはないのです。
要するに、できたためしがないことを、やり遂げなくちゃいけない!と強く思っていたということですね。
それって、作ったことない料理を、いきなり人を招いてごちそうする会に、作るようなもので、無謀だよなと、(今となっては)思います。
自分で言うのも何なのですが、私は結構わがままで、テキトーで、直情的で、ふわふわと感覚的に、生きているところがあります。
とはいえ、母親としてはそれだとだいぶ困るので、結構がんばって「お母さん然」として日々を過ごしています。
それを人は、成長とも呼ぶのだろうけど…
生前の母には
「光子はじゃじゃ馬だからね」
と言われていたのですが、そのじゃじゃ馬娘が、私の素直な状態です。
じゃじゃ馬だから、乗りこなせる人も、実はあんまりいないと思いますww
というのを全部横において、子どものために《お父さん》になってくれる人と、というのは、結構無理があったのだな、と今にして思えば気づくのです。
でもね、でもね、全然気づかなかったんだよ、そういうのは自分には合わないって…
今、私は子を育てる人としての時間が、とても多い過ごし方をしています。
とはいえ、この過ごし方は永遠じゃない。
子どもたちはいつか私から離れて、自分で幸せになっていきます。
その時に隣にいる人が、心底つまらない男だったら、本当に嫌じゃんね…
そもそも、子どもがいなかったら、とっくに山に籠るなり、俗世を捨てていただろうと思うのに…
永続的に俗世で生きていかなきゃいけなくなる感じの人と、俗世で生きていく約束をするのは、私の幸せではない感じがしますw(今にして思えばw)
そして、この1年くらいのあれこれの中で、
「あ、私ってやっぱりこういうタイプの人が好きなのか!」
と、言い方を変えると、それ以外のタイプの人には、別に惹かれないじゃん、と気づいた時がありました。
それはどういうタイプかと言いますと、
「本当に好きなことがあって、それに真摯に打ち込んでいるタイプ」
の人です。
そういう人、要するに私には知り得ない世界を強く持っている人で、その人から大好きで打ち込んでいる世界のことを、話してもらったり、垣間見させてもらうのが、私は大好きなのです。
そういう人なら、その人の容姿とか、持ってるものの多寡とか、職業とか、ステータス的なものには、あんまり興味がありません。
逆に言うと、見た目がよくても、お金を持っていても、お父さん向きでも、私を大切に扱ってくれる人でも、あんまり惹かれないのです。
でも、私の好きなタイプの人、これまで3人しか会ったことないやw
(しかも1人は元夫w)
そして私の好きなタイプの人、結婚向きじゃない人が、多いと思うんだよなぁ。
そういう打ち込んでいることがある彼が好きなのに、
「子どものお父さん」
してもらうのに、枠に押し込もうとするのは、なんだかとっても解せない感じ。
恋愛って、ひとつには自己愛やエゴが必要で、
「この人にこうしてもらいたい」
というのがないと、そもそも成立しないと思うのですが、他方で相手に対する愛も、絶対に必要だと思うのです。
でも、打ち込んでいることがある彼を、
「子どものお父さんになって!」
と枠に押し込むのは、そこにはエゴしかない、相手に対する愛とリスペクトはないと、私は思います。
愛って、
「この人に幸せであってほしい」
ということだと、私は思うのですが、好きな人に幸せになってもらいたい気持ちと、これまで7年間の私の
「子どものお父さんに…!!」
という考えは、相反するものだったと思うのです。
なんてことに、やっと今さら気づいたのが、今年の夏でした。
いろいろあったけど、いろいろ考えたけど、幸せになってほしいと思っていた彼に、
「あなたは私の人生のMVPをあげたい人です!」
ということと、感謝しか伝えられなかったのは、彼を私のエゴの枠に押し込みたくなかった=彼への愛とリスペクトを、私なりに守りたかった、ということでした。
当時は、自分がどうしてその行動と言葉を選んだのか、なんだかよくわからなかったのですが、彼に「好き」って言うことは、私の求めるエゴの枠に押し込める第一歩になりそうな気がして、きっと嫌だったんだなぁ、と気づきました。
とはいえ気づけたこと、そして私がそれくらい彼のことが大好きで、大好きになれる出会いと愛に恵まれたことに、改めて人生の奥深さ、面白さを感じます。
こんな経験が出来ることも、生きてる間、体がある間にしかできない、特別なことかもしれませんね。
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。
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シングルマザーの恋愛事情

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