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私の思う、世界の仕組み

ふつうの日常が当たり前じゃなかった話

こんにちは!神様とご縁をつなぐ 光子です。


私は常々、
「何事もないことが、得難いことなのだ」
ということを、お伝えしたいと思っているのですが、これを伝える具体的な例が、うまく見つからずにいました。

何事もない平穏な日常というのは、一見とても当たり前に存在する、つまらないもののように思えますが、本当は全然そんなことはなくて、とても特別なことです。

そして、その特別なことを、私たちの知らないうちに、神様や仏様がもたらしてくださっているのですが、それを実感を伴う形でお伝えするのがとても難しい。

ところが、先日、
「これってまさに、私がお伝えしたかったことにとても近い形の、具体的な例だ!」
と感じることに出会いました。

今回は、そのことについて書きますね!


ことの起こりは、子どもたちの
「この川を下っていくと、どうなっていくんだろう?」
という、近所の川を歩いていた時の、素朴な疑問から。

それならば、実際に歩いてみようということで、先日子どもたちと、下流に向かって歩く旅をしました。

近所の川は、途中で荒川に合流し、最終的にはご存知、東京湾に注ぎこみます。
東京湾まで歩けなかったら、歩けたところまでで終わりにして、帰ればいいというざっくりな予定で、おにぎりとおやつ、水筒を持って出かけました。


歩く途中の河川敷では、場所によっては草が伸び放題で、河川敷から大きく離れて迂回をしたり、ぬかるみに足を取られてすべったりと、思わぬ冒険も。

かと思えば、白いサギや雉、シジュウカラにハヤブサなど、たくさんの鳥を見かけます。
以前は近所でよく見かけたのに、最近めっきり見なくなったスズメや、鷹に似たミサゴという鳥、更には、見たことのない素朴で可憐な花もたくさん見かけて、身近に感じる河川敷の、自然の豊かさに驚きました。

そんな非日常を楽しみながら歩いたのですが、どうにも全員足が痛くなりまして…
疲労より先に、つま先の痛みに耐えきれず、歩く旅は終了。

通りかかったバスに乗り、その地点の最寄り駅まで移動しました。


とはいえこの時、まだ12時過ぎ。
このまま帰るのもね、ということで、3つの川の合流地点(荒川・隅田川・新河岸川)、地名で言えば、岩淵水門のところまで行って、今回の旅のゴールとすることにしました。

電車で赤羽まで行って、そこからは歩いて川を目指します。

新河岸川のほとりまで来たところで、仏様の像を見かけました。
川のほとりにある仏像ということは、と大人の私は察しましたが、子どもたちは
「どうして仏様があるんだろう?」
とすんなり納得していない様子。

これは話しておいた方がいいな、ということで、川のほとりの仏様は、かつての洪水や治水工事の時に命を落とした方へ、ご供養のためにあると話します。

ところが子どもは
「その割に、新しい像だったよね?何でだろう?」
と納得していない様子。

これは困ったな、と思っていると、
「横からすみません、仏様のことですけど…」
と、斜め前を歩いていた女性が、声をかけてくれました。

そして、昔から先ほどの場所に仏像があったのを、最近新しくしたのだと教えてくれました。
さらには、
「すぐ先の資料館でボランティアをしているので、よかったら立ち寄ってください」
とも。

資料館とは、荒川知水資料館のことで、地図上であるのは見ていたのですが、立ち寄るつもりはありませんでした。
でもこれも何かのご縁?ということで、3つの川が合流する場所を見た後に、立ち寄ってみることに変更です。


いざ、3つの川の合流地点はと言いますと…

もう、川幅がすごくて…!!
歩き始めた近所の川と、繋がっている場所とは思えないくらい、広い広い川幅の中を、大量の水が流れていました。

こんな感じです。

左側から荒川が流れてきて、二股に分かれて、右手前を隅田川が流れていきます。
見えていませんが、右奥を荒川が流れていきます。

こちらは、上の写真の右手前の隅田川を少しだけ下流に行ったところ。
左から流れてくるのが、隅田川から流れてくる流れで(上の写真の右手前)、右側から流れてくるのが新河岸川。
この地点から、2つの川が合流して、1本の隅田川になります。


写真のように、この地点から隅田川と荒川の2つの川が、東京湾に向かって流れていきます。
ここまでも、荒川と新河岸川の2つの川が流れてきているので、
「新河岸川の終着点で、隅田川のはじまりの場所」
でもあるのですが、途中でたくさんの川や用水路の水を受け入れてきている荒川は、家の近所を流れている川とは全く異なる、圧倒されるような大河でした。

そして、川を眺めているうちにふと、
「あれ?水が下流から上流に向かって流れているけど…」
と気がつきます。

もしかして、方向の認識が間違っていたかなと、よく考えなおしたのですが、どう考えても、海の方から上流に向かって、水が進んでいます。

そんなことある??
海の近くならまだしも、ここから東京湾まで、まだかなりあるけど…

これは、先ほどの資料館で聞いてみよう!ということで、せっかくいただいたご縁に感謝して、みんなで資料館まで戻ります。


資料館で教えていただいたのは、1日に2回、川が逆に流れている時間帯があるとのこと。

それはもちろん、海の潮の満ち引きの影響です。
歩く感覚で言えば、海はまだまだ先ですが、水の流れでは、潮の満ち引きの影響を受けるほど、もう海まで近いところまで来たということですね。

そして、
「いつでも見られるわけじゃないですから、いい時に来ましたね!」
とのこと。

なるほど、逆流している時間帯に来なければ、この現象に気づくこともありません。

ここまで来るのに、迂回をして1時間近くロスをしたりと、なかなかどうして、と思うこともあったのですが、この時間帯にたどり着くための調整だったと思えば、必要な時間でした。


さらには
「真ん中だけ上流から下流に流れて、右と左を下流から上流に流れている時もあります」
とのこと。

そんなことあるんだ…
でも確かに上流から水は流れるから、ある程度は上から下に流れる場所もないと、辻褄が合わなくなりそうですね。不思議!


家の近くを流れる身近な川が、ここまで来たら思いもよらない事実を持っていて、
「当たり前だと思ってきたことが、当たり前じゃなかった」
というような、不思議な感覚になりました。

そして、もっとびっくりしたことに、
「岩淵水門から下流の荒川は、人工の川で、かつては荒川放水路と呼ばれていた」
ということも。

先ほどの写真の、ちょうど見えなくなっていた先の荒川は、人が掘って作った川なのだそうです。


信じられます??
あの大河が、人工の川だなんて…!

かつてはこの辺りから東京湾に注ぐ川は、隅田川のみだったとのこと。
そうすると、どうなるのかと言うと、水害でたくさんの人が被災するということが、明治時代の間だけでも、10回以上起きていたそうです。

そういうわけで大正時代に、水門(岩淵水門)を作り、荒川放水路を掘って、水害が起こらないようにする工事を行ったとのこと!


この荒川放水路のこともすごいのですが、同じくらいすごいのが、【荒川の西遷】と呼ばれる、荒川の流れを変える(川を付け替える)工事のことです。

こちらは、江戸時代初期に、徳川家康さんの命で進められたことなのだそうですが、かつての荒川は、利根川と途中で合流して、東京湾(江戸湾)に注いでいたそうです。

荒川と利根川、どちらも大河ですよね。
そういうわけで、こちらも水害で大変なことになっていたそうで、関東の地を拠点として盛り立てていくには、治水がとても大切だったとのこと。

そのために、荒川の流れを途中で別の川に注ぐようにつけかえるという、これまた途方もない工事を行い、そうして今の荒川の流れになったとのことでした。

ちなみに利根川は荒川と反対側の、別の川に付け替えられたそうです。(利根川の東遷)

詳しくは、リンクを貼りますので、ご興味あればどうぞ!
江戸時代 | 荒川上流河川事務所 | 国土交通省 関東地方整備局


これらのことを、
「へー、すごいね、大変だったね!」
と自分とは関係のない昔のことのように見ることもできるのですが、かつて、昔の方々が行ってくれた大工事があったから、今の荒川の姿があります。

ということは、かつての大きな治水工事は、今の私たちの生活も守ってくれていますね。

私はこれらの治水工事のことを、全く知らなかったのですが、わたしが当たり前のように過ごしている日常は、昔の人たちの尽力があったからこそ、当たり前のように穏やかであり続けています。

これらのことに気づくこともなかったので、水害のない穏やかな毎日が、得難いものであると感じたり、感謝をすることはなかったのですが、改めて過去にこのような事実があったと知ると、
「全く気づかずにいたけど、ずっと守られていたんだ」
と昔の人たちが、今の私たちを守ってくれているような心持ちになりました。

全然知らなかったけど、そこにずっと昔の人たちの愛があったような、不思議な気持ちです。


そんな感慨深い気持ちになった後に、ふと
「あれ?気づかないうちに守ってもらっているこの感じって、神様とか仏様、ご先祖様が私たちにしてくださっていることに、とても似ているよ?」
と気づきます。

そしてこれこそが、私が常々お伝えしたいと思っている、ご神仏が私たちにもたらしてくれている
「何事もないことが、得難いことなのだ」
という恩恵の姿です。


ご神仏が私たちにしてくださっていることは、治水ではないし、何がどういう形で、守られたり、導かれたり、私たちの得難い日常を作ってくれているのかはわかりませんが、例えば今日も目が覚めて、生きている。
これだけでも、本当はすごく特別で得難いことです。

何ごともないというのは、そこに特別なことがないので、何かしら問題が起こらない限り、特別で、大切で、ありがたいことだと、気づきにくいものですね。

でも、自分が手にしている「ふつうの日常」が、とても特別なものだと気づくと、自ずと感謝も湧いてくるものではないでしょうか。

失って初めて気づく、というのにも似てますね。
私も健康を失った時に、初めて、健康ってなんて大切で得難いことだったんだと気づいたように。


そして、自分の内側から、ふつうの日常に感謝できる気持ちが湧いてくることで、自分を守ってくれている目に見える・見えない数々の存在に、本心から感謝がわいてくることになるでしょう。

もし、神様や仏様に、特別に叶えて欲しいことがある人は、まずはこの状態、上述の、すでに自分が手にしているもののありがたさに気づくことで、きっと叶えてほしいことに近づけるはずです。

というのも、自ずと感謝が湧いてくる、そして感謝の気持ちを捧げる、というサイクルを繰り返していくうちに、神様や仏様と、それまで以上に強い関係ができていくように感じているからです。

お守りも、お導きも、それまで以上に強固になるということですね。

そうして結果的に、特別に叶えたいことにも近づくし、何か心にかかるもの、叶えたいものも、思いもよらぬ形で、お恵みいただけるように感じています。


そんなわけで、子どもたちの素朴な疑問から始まった旅で、思わぬご縁が、そして思わぬ気づきを得た話でした。


あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。


《おまけの話》
荒川知水資料館では、上述の治水のことのみならず、岩淵水門のあたりはもちろん、遠く埼玉の秋ヶ瀬取水堰のあたりまで、約35kmに渡って、ずっと汽水域(海水と淡水の混ざった水域)であるなど、他にもいろいろ教えていただきました。

汽水域であるがために、東京では飲み水が川から得られずに、地下水に頼ってきたことで、地盤沈下がとても進んでいるというお話もありました。(すごいところでは4m以上も!)

また、治水工事の話を知った時に、私が他にも思ったことがあって、それは、
「為政者にとって、土木工事が大切ってこういうことか!」
ということでした。

どなただったか、全く思い出せないのですが、古代史を学んだ時に、積極的に土木工事を自ら行った為政者がいた話を知り、
「なぜ自ら進んで、土木工事をしたのかしら?」
と不思議に思ったのですが、今回知った治水工事のことを受けて、
「為政者にとって、その土地に住む人たちを守る行為であると同時に、自らの基盤を盤石にするためのものでもあったんだ!」
と、治水をする、土木工事をするということがどういうことなのか、初めてわかった気がしました。

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