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不思議な話

淡々と受け入れていらっしゃる神様から、気づかせていただいたことの話

こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。


先日、子どもが2人とも出かけている、たまにしかない私の休日があったので、とある神社に出かけてきました。

今回訪ねた神社は、あえてどこの神社だったのかは書きません。捉えようによってはディスりにならなくもないので…
でも、帰りにパンケーキ食べて美味しかったし、楽しかった!!!
ということで、行ってみますー!


ことの発端は、せっかくの休日なのに、行きたい神社やお寺が、自分の中に見つからなかったことでした。

それならばということで、朝のお祈りの最後に
「今日、どこかの神社かお寺に行こうと思うのですが、どこに行ったらいいでしょうか?」
と神様にお尋ねしてみました。

即座に見せてくださったのは、木が生い茂っている、少し横に長い木の色の神社の本殿(もしくは拝殿)の姿。
規模的に大きな神社ではなさそうです。でも…
「行ったことないところですね、どこですか…?」

だいたいの神社は木が生い茂ってるし、そもそも神社は大小合わせれば、ものすごくたくさんあります。

どこなのかなー?と思いつつも、神様から言葉で神社の名前を教えてくださることはなし。(前にも同じことが…神様って、ご自身も名乗られないし、神社の名前も明言されず、見せてくださるだけです。不思議だなぁと思いつつ、それって、御神名も神社の名前も、人間がつけたもので本質ではない、ということなのかもしれません。神社の名前も、たまに変わるしね(^^;) )

困ったなぁと思いつつ、まずは片付ける必要のあるあれこれを片付けて、落ち着いてから、再度考えてみることに。


さて、ひと段落して、
「神様が見せてくださった神社に行くのは、もう諦めるとして、とりあえず今日の気分は、この辺りに行こうかな?」
となんとなく決めた先を、Googleマップさんに入れて「◯◯(地名) 神社」で調べてみました。

たくさん出てきた神社を、たたたーっとスクロールしながら見てみますと…
「あ、ここじゃん!」
神様が見せてくださったビジョンと、一致する神社がありました。

ちょっと木のモサモサ感は、写真の方が劣るけど、お宮と、あと場所の感じが同じです。(Googleさんも、写真を載せてくれた方も、ありがとうございました!!!)

それならば行ってみましょう、ということで、はじめましての神社に訪ねてみました!


行ってびっくり、
「アミューズメントパークじゃん!」
というのが私の感想でしたw

神社なんだけど、輪投げとか、もろもろ、縁日みたいになってますw

観光地なのもあって、なんかやたら流行ってる…けど、参拝の人たちは、お祈りに来てるというより遊びに来ている感じでした。
普段はそういうのを、よろしく思わないんだけど…

振り切りすぎていて、逆に面白くなりましたw


神社も経営大変だもんね、と思いつつ、アミューズメント要素のところは全部素通りして、私は普段のお祈りと同じように、まずは手口を清めて、摂末社からお参りします。
(ひとつだけやってみようかな?の思うものもありましたが、神様から半ば呆れ気味の『やめとけ…』のお言葉があったので、素通りしました笑)


摂末社へのお参りをすませて、さて次は本殿というところで、
「そういえば、本当にこの神社がビジョンの中の神社と同じ場所だったのかな?」
と確かめたくなりました。

そこで、ビジョンで見たのと同じように見える場所まで下がって見てみますと…
来る前に見た写真より、さらに木が少なくなってるじゃんwww

本殿の脇に新しい建物が建っていたので、たぶん伐採されたのでしょうね…

こうなると、ビジョンで見た神社の姿は、一体いつの姿だったの?と不思議になりました。(ビジョンの中の神社は、とても落ち着いた神社でした)


さて、本殿にお参り、と思い、ふと狛犬さんを見ますと…
え、狛犬さん、全然元気ないけど大丈夫かな…?

「もうわてら守っててもしゃーないですわ」
くらいの諦めモードなお顔。あと、なんか疲れちゃってる。

そりゃそうか、もう、参道以外の場所からも、本殿と狛犬さんの間を参道を横切るように通っていく人もいるし、むちゃくちゃに、秩序がなくなってるもんね…

とはいえ、気を取り直して本殿の前でお祈りです。


本殿にいらっしゃる御祭神は、境内の中の軽ノリとは打って変わって、どっしりとした力強いエネルギーの方。
お腹にぐうぅっと圧力を感じるエネルギーの方です。

そうよね、だって元々は「権現様」だもんね。
今は人間都合で他のお名前になってるけど。
(名前?表札?が変わっても、神様は変わらず同じ方であることが多いです)


そんな、神様のお持ちのエネルギーとは別に、摂末社を含めて、ここの神社の神々のみなさまが、共通でお持ちのご様子が2つありました。

ひとつは、神様はいらっしゃらないわけではないのですが、前に立つだけでは、存在感やエネルギーは全くわからないという、他の神社では感じたことのない、不思議な感じです。

手を合わせてお祈りをして初めて、存在感を露わにしてくださって、言い換えれば、本質は秘められている、という感じです。

いらっしゃらないわけではないし、お力が弱いわけでもない(すごく強くもなかったけど)。
だけど、普段は内に秘めているというご様子だったのです。


そしてもうひとつは、神様大丈夫かな?と感じるような境内のご様子だったにも関わらず、神様は泣いていらしたりはしなくて、現状を大きく嘆くことはなく、歓迎もしていないけど、淡々と受け入れていらっしゃるというこご様子でした。

私がお祈りをしていた時に、ちょうど中で御祈祷をやっていたので(お清めの鈴の音が聞こえました)、大事にお参りする人がいないわけではないみたいです。
でも、境内の中のご様子も踏まえてか、神様がご自身のエネルギーを、大きく場の内に満たしてくださる、ということではありませんでした。


神様にお参りした最後に、鳥居があるものの、本来お宮があるところに、なぜかディスプレイやモニュメントがある場所に立ち寄ってみました。

そこは、「神様からお言葉をいただける!」とのことで、鳥居の脇に、どうやってお言葉をいただくのかの案内が書いてあります。
案内によると、まずはお祈りをして、それからモニュメントに手を置くとのこと。
ものは試しということで、案内の通りにやってみました!

まずはいつものように、二礼二拍手一礼をして、祝詞を唱え始めたのですが…にやにやしちゃいますw

にやにやを抑えて、最後までお祈りしようとしたものの、結局笑ってしまいました(^^;)

と言いますのも、
「ここ、何もいないなぁ。どなたもいらっしゃらないなぁ」
と思いながらも、案内の通りに大真面目にお祈りをしている自分がおかしくってw


神様のエネルギーも存在感も全くない場所、言い換えれば、目に見えない存在すら存在しない本当に虚空の場所に向かって、お祈りをする行為が、しかも「何もない虚空だなぁ」とわかっていながらも、「そういうものだから」と型を守ろうとしている私自身が、おかしかったのです。

そしてこの場所でのことは、ここの神社のあり様やいらっしゃる神々の皆様のご様子と、対になっているようだとも感じました。

本殿の前などの御神前は、(祈りの場としての)形は失われているものの、秘められた在り方ではあっても本質はあるのに対して、このディスプレイとモニュメントがある場所では、(案内の結果引き出される)祈りの形はあるのに、本質はない、というお互いが入れ違っているような対の形です。

お正月の京都のブログで書いたのと同じような、「祈りの場が観光地化すること」「俗の中で清らかなものが存在し続けること」というのの、ひとつの在り方を見てきた、ということかなと、神社からの帰り道で私は考えていました。


というところで着地しかけていたのですが、この話には続きがあります。

アミューズメントパークのような神社を訪ねた翌日にも、改めて別の神社を訪ねました。

その神社は、これまでに何度も訪ねている大好きな神社で、ブログでも何度か登場している神社なのですが、そちらの神様から本殿の前で、
『(昨日の神社でのことから)学んだことは何だ?』
と問われました。

え、学びだったのか…と正直なところ驚きつつ、
「えーっと…すぐには言えないので、ちょっと整理してきます」
と一度本殿の前を離れます。

ここの神社に来ると、いつも摂末社をお参りしてから本殿の神様へと向かうのですが、この日はなぜか、最初に本殿の前に来るように呼ばれました。
おそらく、一度離れて私が学びについて考え直す時間を取らせるためだったのかと思います。


摂末社に向かって歩きながら、
「昨日の学びは何だ、えーっと昨日の神社でのことは…」
と思い返し、昨日の神社での神様方の在り様から、私が学べることは何か、と考えます。

神様のご様子、そして周りの人間たちの振る舞い、えーっとあとは…と思い返して、私が見つけたのは、

「周りがどういう状態であるあったとしても 我関せず。上手に閉じておく」
ということでした。


神社の中がアミューズメントパークのようになってしまっても、注意を向けるでもなく淡々と、ご自身は冷静でいらっしゃる。

そして、境内の中の状態から全く影響を受けることなく、ご自身の本質は正しく持ったままいらっしゃる。

内に秘めて外からの影響を受けずにいられるから、エネルギーは弱めることなく、存在し続けられる。


そのような神様の在り方、ご様子そのものが、学びだったのだろう、と思い至ったのです。
同時にそれらは、私たち人間にも言えることではないでしょうか。


俗の中で生きると、自分のまっすぐな状態、向かっていきたい先、気づいていることに真摯に取り組むことが、とても難しくなるように思います。
それは、鑑定をしていた頃に、お客様からも感じていたことですし、体調が復調して、平日に毎日お勤めに行くようになった自分のことでも、そのように感じます。

そして、私に限らず、たぶん本当は、みんな大丈夫じゃないことを、大丈夫な顔をして、やってのけているだけ、ではないかと常々思います。

大丈夫じゃないことを、がんばって、がんばって、がんばってやり続けているから、だんだんズレていくのだろうな、と思うのです。


でも、今の社会の在り方で、成り立って、それで回ってきてしまっているから、この回転を、歯車をやめるのは、きっと結構難しい。

「今からみなさんは、狩猟採集民です!」と言われたところで、みんな狩りもできないし、そもそも食べ物も足りないよ、みたいなことですね。

社会のあり方、回し方の中で、どうしても失っていってしまうものがある。
その中で、自分の中の清らかさを、本当はわかっていることを、本質を、どうやって維持し続けるのか、というところとも、リンクしてくる話のように感じたのです。


何はともあれ、自分を保っておくには、上手に自分を閉じておくのも一つの方法、というのが、今回の学びであったと思います。

そして、閉じる方法も、
「私が見つけた答えはこれです!」
と報告に再度本殿の前にお祈りにうかがった時に、教えていただきました。


すごい感覚的な話になっちゃうけど
「第三の目(眉間の間)と頭のてっぺんの、うまく表現できないけど、光みたいなふわーっとしたものを、全部自分の内に引き寄せて、丹田のとこに全部留めればいい!!」
です!

伝わったかな??
本当にそれだけなんですけど、言葉で説明するのは難しいですね(^^;)

上の方のチャクラから、外に向かって広がっているものを、全部回収して、下の方のチャクラに留める、っていう感じです。
同じ場所だから、チャクラを使って説明したけど、正直チャクラはどっちでもよくて、
「眉間、頭頂部」→「丹田」です!!
(いちおうチャクラの図を載せたブログのリンク貼ります)


この閉じ方を実践して外に行くと、帰ってきた時に普段より楽です!疲れてない!!
とはいえ、丹田に留めるのをずっと意識しているのは難しいので、しばらく練習が必要そうです。
神社とか、自然が心地いい場所に行ったら、逆方向に自分を開いてあげてください。回復します!

よろしければ、試してみてください(^^)


というわけで、私の休日に神社で学ばせていただいた気づきの話でした。
(パンケーキ美味しかった!!)



あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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