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私の思う、世界の仕組み

幸か不幸かは自分で決められる

こんにちは!占い師の光子です。


普段私は、自分のことを不幸な人、可哀そうな人だと思うことは全くないのですが、先日ふと、
「そういえば、私が一緒に仕事してる人たちって、大変な思いをしてる人ばかりだな…」
と思いました。

実のところ、占い以外の仕事もしていまして、
・ウェブページの制作と運用
・請求書の発行や発注など組織をまわす事務仕事
・お金の計算に疎い個人事業主さんの経理処理の代行
など、できることをいろいろやっています。


そのうち、組織的に一緒に働いているメンバーを思った時に、
「自分も含めて全員大病してるし、キャリアやプライベートで、それぞれになかなか大変な経験をしている人たちだな」
とぼんやり思いました。

そして
「もしかして、私たち不幸な人…?」
と一瞬思いかけたのがよくなかったようで、そこから思わず自分の不幸や苦労を数えるマインドになりかけました。

「おお、こりゃアカン」
と、慌てて不幸マインドに落ちるのを止めて、いつもの素の私に戻ったのですが
「こんな自分の捉え方ひとつで、幸か不幸か簡単に左右されるのか」
と、とても驚きました。


そんな私ですが、たぶん条件だけを見れば、
・バツイチ
・シングルマザー
・病気して
・安定した職を退職して
・今も闘病中

と割と可哀そうな人に見えるのか、同情されることがよくあります。


とはいえ前述のように、いろいろと家で寝ながらでもできる仕事をしているので、
「病気のシングルマザー」
でイメージするよりも、ずっと安定した生活をしています。

今の働き方になったのは、もちろん声をかけてくださった方々がいらしたからで、本当にありがたいことですが、同時に
「寝ながら生活でも、子どもたちと安定して暮らせるように」
と新しいことを勉強する、という努力はしました。

でも努力は、不幸でも可哀そうでも、ないですよね。


同情されるたびに、
「私、別に可哀そうじゃないんだけどな」
とちょっぴりモヤっとしつつ、めんどくさいからわざわざ訂正もせず、
「そう思いたい人は、そう思っておいてください」
のスタンスでいます。

もちろん、同情してそのまま私を(精神的に、金銭的に)食い物にしようとする人は、断固拒否しますが、そうでない限りは、ことなかれ。

「他人にどう思われようと、私は幸せなので、好きにしてください」
と思います。
(と思えるのは、仕事があるからですよね。本当にありがたい限りです)


というのは今の私の話。

昔は私も誰かのことを、自分の尺度で幸か不幸か測っていた時がありました。


そんなことはすっかり忘れていたのですが、今日、元夫に会った時に、
「この人に幸せになってほしい」
と思っていた時があったな、と思い出したのです。

会ったと言っても、子どもたちと元夫が帰省するのに、新幹線に乗る待ち合わせのために、ほんの数十分会っただけなのですが、
「この人、どうしてこんな口角が下がって、不満そうな顔してるのかしら」
「子どもの話を、もっと興味もって聞いてあげられないものかね?」
とモヤっとして、同時に
「そうだ、過去にはこの人に幸せになってほしいって、思ってたんだった」
と足掻いていた過去のことを思い出しました。


付き合っている間、結婚している間、私は私の尺度での「幸せ」に彼がなれるように努力しました。
けれどそれは、私の尺度です。

私ががんばれば、この人の「への字」の口はにっこりになって、彼は幸せになれるんだ、と信じていました。


ある時
「この人にとっての幸せと、私にとっての幸せは違うんだ」
と気がついて、私の幸せの基準に、彼が沿えるようにサポートすることをやめました。

そして同時に
「私にはこの人が幸せじゃなさそうに見えるけど、本人の心の内はそうではないかもしれない。この感じでも幸せなのかもしれない」
と私の幸せの尺度で、彼の状態を測ることもやめました。


彼の口が「への字」でも、彼は幸せなのかもしれないし、何をしたって、への字が解消されることはないのかもしれない、と気づいたのです。

「お酒をたくさん飲んでいても、それで体を壊しても、なくしものをしてきても。
私だったらそんな生活は嫌だけど、この人にはそれが幸せなのかもしれない」

「家族で揃ってご飯が食べられることよりも、仕事に打ち込んで成果を上げる方が、この人には幸せなのかもしれない」

そんな風に、彼を好きなように放っておくことにしました。


言い方は冷たいようですが、彼の幸不幸の問題は、私の問題ではないし、私がどうこうしたから変わるわけでも、どうこうしてあげなければいけないことでもない、と気づいたということです。

他者の問題を、自分のせいとか、自分の問題だと思うことをやめた、とも言えますね。


占い師になった今は、
「人にはそれぞれ生き方の型があって、目指すことも喜びとするところも様々。人の生き方や有り様を、幸不幸や良し悪しと他人が決めることはできない」
と知っています。

占いのことをいろいろ勉強していくと、共通して見えてくる本質が、これなのです。
けれど20代の時は、そんなことはわからなかったですね。



前半の話に戻るのですが、
「自分の捉え方ひとつで、自分が幸せかどうかは簡単に左右できる」
のですから、ただ、自分の苦労や不平不満を数えるのをやめればいいだけ。

自分の意識を楽しい方にだけ、向ければいいのです。

私も治療費と生活費で、貯金を使い果たした時もありましたが…
お金がないって、本当に心を蝕むことだって、知っているけれど…

でもその状態でい続けなかったのは、何かのスピリチュアルにどっぷりハマって、その手法で救われたからではありません。
それから、私が神様とお話しできる人だからでもありません。


今自分が置かれた状態の中での、プラスの面を見つけること。
私の場合なら「時間はいっぱいある」がそれでしたね。

それを活かして、その時にできることをやったから、今に繋がりました。

もしかしたら、朝晩にお祈りの時に、神様に
「幸せに感謝します」
と言っていることは、自分の視点や感情を前向きに保ち続けるのに、一役買っているのかもしれません。

とはいえ、他力本願で、ただ外側から好ましいものが引き寄せられてくるのを待っていた、ということはなかったですね。
(そんなことしてたら、たぶん神様に『サボっていないでやりなさい!』って怒られるだろうな…怒られたこと、あったな…)


他の人が恵まれていたり、うまくやっているように見える時もあるけれど、その人の心の内は、ご本人以外は誰にもわかりません。

だって、その人の幸せの目指すところも、どれくらい幸せかも、他の人には決められないですからね。


それなら、自分で自分を幸せにしてあげちゃいましょう。
そして自分を幸せにしてあげられるのは、自分だけです。

誰かが幸せをもたらしてくれても、それが幸せなことだと気づけるのは自分だけです。
もたらされたものが幸せだと気づけないなら、誰が何をもたらしてくれても、ずっと幸せになることはできません。

自分の状態をどこに置くか。何に意識を向けるのか、それだけで、変われます。

他人がどう思うかは、例え家族だろうと、放っておいちゃえ!!


と、身近な人のことを思いながら、今回は書いてしまいました。
届くと、いいな!



あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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