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不思議な話

今年最初に賜った啓示を、振り返ってみたら

こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。


先日、
「そういえば、今年のお正月(に賜った今年がどんな年になるかのこと)には、どんなことが、書かれていたんだっけ?」
とふと気になって、本年最初のブログを読み返しました。
(自分で書いてても、忘れてます)

よろしければ、今回のブログの続きをお読みになる前に、前半部だけでよいので、お読みいただけたらと思います。

2025年はこんな年になります


正直、お正月のこれを書いた時には、
「こういうことをお示しなのはわかるけど、具体的に何を指しているのかな?」
「そんなに不安が充満しているような、そんな感じかなぁ??」
と結構、何を言っているのかわからなかったのです。

だから【体験したことのない新しい世界に行く】ということも
「あー、AIとかだね。そうだね、新しいねー」
とふんわりとしたまま受け取っていました。


だったのですが…

何だか、今読むと、何のことを言っているのかわかるというか、すごく現実味を帯びてきているように思えませんか?

お正月に賜った内容のあれこれが、今の私たちが体験したり、ニュースで見ているあれこれのことを言っているのではないかと思えてきます。

例えば、
「もう戦争はやめよう、やめた方がいい」
という方向性は同じ先を目指しても、終戦の仕方、講和の仕方で難航していたり。

お米のことも、アメリカの関税のこともそうですよね。

こんな感じになるってのは、お正月には想像もしていなかったけど…。


今年最初の賜りものを踏まえて、今の世界の情勢を見ると、世界の政治的なリーダーたちの内にあるのは、「不安」なのかもしれない、と思えてきます。

国民が、人々が不安なのはその通りなのですが、政治的なリーダーたちの中にも、たくさんの不安があって、それゆえの行動や選択で、今の情勢が作られている。
そう、読み解くことができるように思います。


それでは、私たちはこれからどうするのか、どうするのがいいのか、ということなのですが、神様から賜ったものを超えて、私がお伝えできることなどないので、あえて原点に立ち返ると、

『本当は大丈夫なのに、不安に押し流されて、間違った選択をしそうになっている』
『不安にならないで。不安にならないでいい』
というところに返ります。

今年の私たちに必要なのは、「大丈夫。」の思考。
大丈夫を不安とすり替えてしまうと、本当にするべき選択を誤ってしまうよ、ということでしょう。

もしかしたら、私たちはすでに選択を誤ってしまっているかもしれないけれど…


不安に寄った選択ではなく、勇気を出して、本当に選ぶ必要のある選択肢をとること。
それが具体的に何なのかは、きっと個々人によって異なりますし、それぞれの立場やなせることによっても変わってくるのでしょう。

でも、一年の半分近くまできてふと読み返して、血の気が引くように気がついたことを、
「これは、書いておくべきことだろう」
と思わずにはいられなかったので、書かせていただきました。

ここからでもまだ巻き返せると信じて…!!


不安との向き合い方については、お正月のブログの後半に、月読命様が教えてくださった話と共に書いています。よろしければご一読ください。

2025年はこんな年になります



あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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