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神さま訪問記

娘と京都に行ってきました!下

こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。


娘と出かけた京都の話、後編です(^^)
→前編はこちら


法輪寺でのお参り終えて、次は娘が行ってみたい清水寺へ。

電車とバスで向かうつもりだったのですが、待てど暮らせどバスが来ない…
清水寺に向かうバスは、待っていたバス停からは1系統だけで、他のバスは来るのに、乗りたいバスだけは10分以上過ぎても、来る気配もありません。

そのうちに、夜ご飯と帰りの新幹線が気になってきました。


ここから清水寺に行き、閉門までいたとして、またバスがスムーズに来なかった場合、帰りの新幹線に乗れるかギリギリになるかも…
その場合、ご飯は駅弁を買うにしても、買う時間すらあるかどうか微妙になりそう…

さぁ、どうしよう?と思っていたところへ、ちょうど京都駅行きのバスが来るとのこと。

迷ったけど…本当のところは、法輪寺の後に清水寺に向かおうとした時に、やめておくように警告があったんだよね…
(行ってはいけない、というほどはっきりとしたものではなく、「感心しないな」と眉をひそめられている感じの、予感よりははっきりとしてるけど、ふわっとしている入ってきた感覚です)


警告があったから行くのはやめようと言うのは、娘の希望に沿えないから向かったのですが…
バスが来なくて、駅行きのバスが来るこの流れは、乗っておいた方が良さそう。

娘には、京都駅に戻って、ゆっくり美味しいものを食べてから新幹線に乗らないかと提案し、今回は清水寺を訪ねるのを諦めました。
清水寺は修学旅行の定番だし、また機会はあります!


京都駅での夜ご飯は、出汁茶漬けに。
私は鯵のたたきの出汁茶漬け。
娘のも美味しそうでした!

(私のは写真が下手すぎたので載せませんw)

お腹がいっぱいになって、じゃあ次は、新幹線の中で食べる、京都っぽい甘いものを買いに行こうか?と話しました。


どうやらあのエリアにありそうと当たりをつけて、出汁茶漬けの店を出て歩き始めると…

目指していたエリアに向かうのとは、方向が違う道へ行くように、やたら促されます。
え、そっちじゃないけど?と思いつつ、ずいぶんとはっきりしたお示しなので
「なんかこっち行くように言われてる」
と娘に話して、ご指示の通りの道を行きました。

しばらく行くと…
「なんかここ上がるらしい」
上がって行った先は、来た時に乗ったバスのバス乗り場でした。

「なんでこんなとこ出てきたんだろう?」
と思いつつ、バス乗り場から駅に向かって歩いていると…なんだか良さげなお店発見!!

「あ、あそこ、なんだろう、甘いものあるかも?行ってみない?」
近づいてみると…
「パン屋だ!」
進々堂というパン屋さんでした。


ロケーション的に、ご指示の通りに進んだ出入り口から来なければ、あることに気づかない場所にありました。まるで
『ここ、美味しいよ!おすすめだよ!』
と神様からお勧めされているみたいでした。

神様レコメンドのパンは、どれも美味しそう…
迷った挙句、気になったのは全部買いましたw
(「全部買うんかい!」と娘ちゃん)

チョコスコーンと

北山ブラックと

あと、娘のカレーパンとブリオッシュと、食べきれなくて翌朝のお楽しみにした、りんごのクロッカン?だったかな??

どれも美味しかったです(*^^*)

ちなみに、チョコスコーンは私のだったのですが、なんの躊躇もなく娘が袋から出して食べ始めましたw

「え…私のスコーン!?」
と思いつつ、あまりにも自然に食べていたので、一口もらって、あとはあげることに(^^;)

翌日に調べたら、進々堂は大正時代からある、京都のパン屋さんとのこと。京都らしさ満点の甘いもの、だったみたいですね!


さてここから、楽しい旅の話から、少し離れます。

今回の旅の話を、特に前半、さらっと書いてしまったのですが、正直なところ、それだけさらりとした印象だったというか、とりわけ印象に残ることも少なかったのです。

始めは、もっとテンション高く、楽しく、アゲな感じで書いていたのですが、
「これは私がその場にいて、本当に感じていたことではない」
と違和感があって、書き直しました。


早朝に、空いている時間帯に訪ねたら、以前感じていたような特別な清らかさを感じることができたかもしれないのですが、私の大好きな、とめどない清らかさと多幸感と自然への畏怖に溢れた、
「まるで新しく生まれ直したかのように感じる、とても元気になる下鴨神社」
ではなかったのです。
(神社の方に申し訳なくて、正直書くかを迷いました)

それは実のところ、前々回、一昨年の7月に訪ねた時からです。

前回訪ねた時に、神様も
『そのうち回復する』
みたいなこともおっしゃっていたし、樹木をたくさん伐採するとか、池の水を全部抜いて掃除をするとか、自然に何か手を加えることをした後の神社は、数年間はどうしてもエネルギー的に乱れた感じになるのを、これまでも経験しているので、そういう要因もあるのかもしれません。


なのですが、もうひとつ、少し懸念していることがあります。
それは、聖地ではなく、観光地になり過ぎてしまっていること、です。

以前のブログで「パワースポットをつぶす」という話を書いたのですが、そこまでの事態ではないものの、それに近いような状態に、なりつつあるのを懸念しています。


その場所に訪れる人の、敬意や誠意のこととも言えるのですが、
「なぜその場を訪ねるのか」
「そこでどう振舞うのか」
というのが、神聖な存在や場所を訪ねる心持ちでの在り方なのか、それともただ観光目的で遊びに来ている在り方なのか、ということですね。

わかりやすい例、になるかはわからないのですが、例えば、何かひとつのことを、とても大切に取り組んでいる人は、道具ですら大切に扱います。

例えば、何かの楽器を一生懸命にやっている人なら、まず自分の楽器をまたぐことはしません。(人の楽器もまたぎません。その人が大切にしているとわかるから)

以前、私は剣道をやっていたのですが、竹刀もまた、またがないものでした。
「またいではいけない」と教わりましたしね。


同じように、どんな形であれ、多くの人の中に聖域のようなものがあると思うのです。

その自分の中の聖域を大切にするような心持ちで、聖地を訪れるのか、それとも遊びに行くような心持ちなのか、という時に、聖域を訪ねるような気持である人が、相対的に減っているのではないか、ということです。


私は今のような、強烈な清らかさが薄れてしまった状態のことを
「神様が元気をなくされている」
と表現しているし、実際にそのように思っているのですが、今のような状態を脱するには、言い換えれば神様がお元気になられるには、何が必要なのかと考えました。

考えたけど…わからないので、帰宅後の翌々日に、家の神棚の前で、神様に問うてみました。

お答えがいただけると思って問うたというより、思ったことを口に出してみた、という感じだったのですが、対して天照大御神様が
『みんな幸せになること!』(本当に「!」がついた感じの言い切りで)
とお返事くださったのです。


お返事の内容としては、わかりやすい言葉ですが、よく考えると、含みのある言葉で、なぜそうなのか、どうしてそうおっしゃったのか、考える必要のある言葉のような気がします。

「幸せとは何なのか」「みんな幸せとは、どうしたらなれるのか」「なぜ幸せであれば神様もお元気になられるのか」と、疑問は尽きません。


そのうち、「なぜ幸せであれば神様もお元気になられるのか」については、「こういうことではないかな?」と思うことがありました。

それは、もし皆が幸せであったら、神様に何を伝え、どういう心持ちでいるか、という話なのですが、幸せであったなら
「これを叶えてください」
という言葉ではなく、
「ありがとうございます。幸せです」
という言葉や想いになるだろうと思うのです。

そして結果的に、純粋な敬意が現れる行動をとるでしょうし、感謝の言葉と感謝の想いだけを捧げることになるでしょう。

そして、これこそが、神様がお元気になられるものなのではないかなと、私はこれまでの経験や神様から伺ったことの中から、感じています。


では、どうしたら幸せになれるのか、それは、幸せの形は人それぞれ違うけれど…

ひとつ言えるのは、私の経験からの話で恐縮ですが、脳脊髄液減少症の症状で、普通の生活を送れなくなる前の私は、今よりもたくさん持っていたのに、今よりも幸せではなかった、ということです。

安定した仕事をしていたので、貯金もきちんとあったし、普通に動ける健康な体を持っていたし、若さも、若さゆえに持っているいろんなものも、持っていたのです。

対して、病気になってからは、普通に動ける健康な体と自由は失われたし、一時期は貯金が底をついて、そのうちには家を売ることになるだろうと覚悟もしていました。

健康な間は、毎日きちんと仕事に行き続けていれば、子どもたちを経済的にきちんと育てられるだろう、という安心感に満ちていたし、何の不足や欠乏感を感じる必要もなかったのです。

それにも関わらず、当時の私は
「足りない、足りない」
と思っていました。

今あるものは得難いもので、とても大切なありがたいものだと感じることは、全くなかったのです。


手にしていたものが、特別でありがたいものだったと気がついたのは、病気になって、失った後のことでした。
なくして初めて気づく、というあれですね。

大変ありがたいことに、お陰様で今は健康状態が回復して、経済的にも不安を感じる必要がない状態になりました。

そして今の状態になるまでにも、要所要所でありがたいご縁に恵まれて、なんとか家を売ることもないままに、生活し続けることができました。

それでも、昔ほどの貯金があるわけではないですし、「足りない、足りない」と思っていた頃に比べたら、持っている量が少ないものは、いくつも数えられます。


ところが、今の私は「足りない、足りない」と思うことは、全くありません。
今、自分が得られているもの、与えていただいているものが、なんてありがたいものなんだろうと、純粋に思います。

本当に充足した、幸せな気持ちをくれるのは、必ずしも物質的な豊かさではないし、誰かが自分の思い通りになってくれることでもないのです。

余談ですが、先日、昔の写真を見ていた妹が、私の表情が今と違うと指摘していました。
昔は
「今よりももっと真面目だけど、不安な顔をしてる」
とのこと。対して今は、
「もっと大らかで、大丈夫!って顔してる」
とのこと。

本当に彼女の言うとおりで、「足りない」の思考=足りないかもしれない不安や欠乏感が、顔にも表れていたわけですね。


話は戻りますが、今回の旅は、このように
「めっちゃ元気になった!!最高だったー!!」
という感は少なめの旅ではあったのですが、神域を離れてみると、そして家に帰ってきてみると、やはり清らかさに満たされて、元気になっている自分がいることに気づきました。
(法輪寺さんの虚空蔵菩薩様は超元気でした。十三まいりちゃんも一緒だったから、歓迎ムードも厚かったし!)

更には、お返しするために朝に外した破魔矢の場所に、新しい破魔矢を据えると、ピンっ!と家の中が整うのを感じました。

神棚も、いただいたお札を据えると、お正月の前に新しいお札に替えていたにも関わらず、更に力強い場所になりました。

娘も
「わー!家の中の空気が、ビシィィ!!っとしたね!」
と、私が何も言わずとも話していたので、私が感じただけでなく、実際に整った空間になったのでしょう。

そういうことからも、
「やっぱり、お参りに行くのは必要だよね」
と改めて感じる旅でした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました(*^^*)



あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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