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私の話

瞑想箱庭療法で見つけた救いと私のタブー

こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。


先日、プライベートなことで、心理士さんにお世話になった方がいいと感じる出来事がありました。
いろいろ逡巡するうちに、離婚した頃に長らくお世話になっていた臨床心理士さんのお名前を思い出し、検索してみたところ、ご自身のオフィスを始められたとのこと。

始められたオフィスは、瞑想箱庭療法を専門に行なっているとのことで、どんなことをするかはわからなかったものの、とりあえず行ってみよう!で予約をして訪ねてきました。


対話を重ねる心理カウンセリングとは異なるものでしたが、結果的に、とてもよかったです。

感じとしては、「心身の状態が整う」というのが、ぴったりくる言い方です。
整うのだけど、浮世離れしすぎることはなく、この世に、社会に足をつけたまま、自分の状態は整うので、よい整え方だなと感じました。
(心理学の一療法を、整え方とか言うのも何ですが…)

瞑想箱庭療法の整い方が、どんな感じかと言いますと、例えば、神社を訪ねた後の私は、心地よくて最高に整うのですが、同時に目に見えないことを受け取る力も高まるので、社会で生きていくという場面では弊害もあります。

神社で整ったまま、スーパーに行ったりすると、他のお客さんや過去にその場にいた人たちの、いろんな事情や想いが普段以上に入ってきてしまって、とてもしんどくなるのです。


ところが瞑想箱庭療法の整い方は、そういうことではなくてですね。帰り道、そのまま都会を歩いても、大丈夫でした。
自分を開きにいく、整え方じゃないからかな?

とにかく、方法として、とてもいいなと思いまして、とってもおすすめです!!


と、前段階を書きましたので、ここからすっごく重たい話を書きます。(閲覧注意です)




私は小学校2年生の冬に、性暴力被害に遭いました。

いや、正確には未遂だったと自分では思ってきたものだったので、「暴力の被害」という書き方は、少しオーバーかもしれません。
とはいえ、未遂だったと思っていたのに、離婚した頃に受けていたカウンセリングの中で話をするまで、常に頭の片隅にあって忘れることができないことでした。

そう考えると、「未遂」という受け取り方は、「自分はまだ大丈夫」という正常性バイアスが働いていただけかもしれません。


とはいえ、この時のことが、私がその後に男性に対して持つ印象や感情に、大きく影響を与えてきて、そしてそれは未だに、完全には解消されていません。

例えば、学校の先生や習い事の先生に、肩に触れられたりすることが、とても嫌でした。
触れられた日には、お風呂で30回くらい洗わずにはいられませんでした。

男性と部屋に二人きりというシチュエーションは、今でも居心地が悪いと感じます。
そういうシチュエーションになる場合には、3〜4mくらいは離れて欲しいと願っています。

同じように、パーソナルスペースに急に入ってくる人(身体的距離を突然縮める人)にも、強い不快感を感じますし、背が高い男性はそもそもが苦手です。
隣に立たれると、自分の視界が狭まるような圧迫感を感じるので、175cmくらいまでの人が、耐えられる限界です。
それ以上大きいと、そもそも重さと力で全く抗えないような恐怖感を感じます。
(たぶん大きくない人でも力で勝てないのですが、なぜか身長は重要です)

端的に言うと、とにかく男の人が怖いのです。

このことは、最近まで、言葉にして、詳細に話すことはできなかったことでした。
そもそもそういうことがあったと話したことのあった人は、心理士さんを含めて片手で数えられる人しかいませんでしたし、話したことがあった人にも、詳細に話すことはできませんでした。


そしてこれらの男性への恐怖心は、何度も私の人生の邪魔をしてきました。

恋愛の場面でも、好きな人でも本質的には怖いので、無意識のうちに、一定以上距離が縮まらないように、コントロールしてしまいます。
距離とは、ここではどちらかというと心理的な距離ですね。
好きな人はそもそも身体的距離が近くても不快ではない(怖いとは別の意味で)人しかならないので、心理的な距離です。

その心理的な距離を、私から縮めることは構わないけど、相手から縮められることは避けたいと、おそらく感じています。
無意識の行動なので、なんとも言えないのですが…潰しにいっちゃうんだよな…

例え好きな人であったとしても、根っこの部分では怖い、という気持ちが、どうしても拭えなかったと、過去の恋愛を振り返っても思います。
そしてそういう私の心の働きが、元夫を本当に怖い人にしてしまった部分もあるかもしれません。

好きな人でも、想定外に手が触れたりすると、反射的に自分の手を引っ込めてしまったりしていました。
それを心地良いものだと受け取るには、自分の中で一旦整理することが必要でした。

それから執着を見せられるのもとても嫌で、例え彼氏でも夫でも、嫉妬心の表れを見るのは大嫌いでした。
嫉妬心や執着=何をしでかすかわからない危険な心の働き、みたいに感じるのか、怖いと感じていました。


そして仕事の場でも…お仕事としてのお付き合いと思っている方から、「女としての需要」みたいなものを感じると、とても怖いと感じます。
実のところ、鑑定をお休みすることにした一因に、このことがありました。

お一人ならず…詳細は避けますが、そういったことが続いていた頃に、常連さんの男性のお客様の鑑定がありました。
その方は気持ち悪さ0%で、お仕事としてのお付き合いをしてくださる方です。

しかもオンライン鑑定だったのにも関わらず、鑑定中に「私、今怖いと思っている」と気づきました。
もちろん、大変恐れながら、恐怖心を抑えることに必死で、鑑定に集中できませんでした。


その日の鑑定を反省しつつ、度重なる「女としての需要」事案に、心が限界を迎えている自分に気づき、鑑定をお休みすることに決めました。
お休み自体は、あまりの忙しさでそれ以前から検討はしていましたが、心が限界な自分に気づいたことで、踏ん切りがつきました。


鑑定をお休みすることで、逃げられたと思っていたのですが、同じような事案が、普段のお勤め先でも起きます。


もう、悔しくて、悔しくて。

どうして何度も、同じような目にあい、同じような恐怖心を繰り返さなくちゃいけないのかと、とにかく悔しくなりました。

前の職場でも、「私のこと好きなのかな?」って人はいたのですが、いかんせん人数が多かったので、無視していれば何も問題はなかったのです。(果敢にプロポーズ君もいたけどw)

今の職場、人数少ないのよね…
マジで辛い…


恐らく私は、人一倍「女としての需要」に敏感です。敏感でなければ、早めに危険を察知することができないので、身を守るために、自ずとそうなっていったのかと思います。

そしてそれは同時に、きっと勘違いも多いのではないか、と最近は思っています。
「かもしれない」ものを過剰に捉えて、回避行動に出る、過剰に怖がる、ということもきっとこれまでの間にはあったのではないか、ということです。

だとしたら、だとしたら、そんな心の働きを強制し続ける、8歳の時の事件を、心の中から叩き切ってやるー!!!!!って、思いませんか?


私は、思いました。
そういうわけで、自分の中のタブーであり閲覧注意マターと、真正面から向き合って、叩き潰すことにに決めます。

そんな経緯があって、以前お世話になった心理士さんに、もう一度お世話になろうと考えました。


そして「話すこと」は「放すこと」であるように、私にとってはブログに書くことが、手放すことのひとつであるように感じています。
そういう意味もあって、書くことに躊躇はあったのですが、今回、私の内に留めてきたタブーを書くことにしました。

でも、書けたということは、そこまでは自分の中の整理がついてきたということかもしれません。
何でもそうですが、傷が新しいうちは、きちんと向き合うことも話すことも、難しいですからね。

そういう意味で、私が今回書いた一連のことに、8歳からずっと苦しめられてきたことは、一度も親に話したことはありません。
正直なところ、言語化できなかったという意味で話せなかったし、心の準備ができていなかったという意味でも話せませんでした。

したがって、おそらく8歳の私はPTSDになっていたのではないか?と今にしては思うのですが、それに対する心理的なケアがなされることなく、大人になる過程で、性的なことに出会う・受容することで、ますます傷を広げ続けてきたように思います。
(離婚後に元夫に、本当は怖かったと伝えた時に、「それなのに子ども2人産んでくれてありがとう」と言われたのは、ちょっと感動しました)


かくいう経緯で、今の私には、自分で解決する以上の心理的ケアが必要だと考えての、心理士さんに頼る、という選択でした。

そして、ここからが大事なんですけどね、瞑想箱庭療法に行ってみたところ、大きな気づきに出会えたのです。


それは、
「お守護さんに委ねて、背中を預ければいい」
ということです。(お守護さんの説明はこちら→誰も彼もが大切なひとり

なんのこっちゃ、と思われると思うのですが、私が気づいたのは、
「お守護さんが守ってくれているから、何も起きてない」
ということでした。


怖いと感じることはあるのです。でも、何も起きていない。
そしてこれからも、守ってくださる。

これまで、大丈夫でこられたこと、そしてこれからも守ってくださることに、感謝できる私でい続けられたら、きっとこの先も大丈夫、そんなふうに気づいたのです。

楽観的と言えば楽観的なのですが、瞑想中にはたとひらめいた、根拠のない、気づきと自信です。
でもこういうのが、結構強かったり、本質を突いていたりするんですよね。


あとは、やっぱり私は境界線を引くのが下手だから、上手に拒絶できる人になっていこう、というのは、帰路で思いました。
拒絶というほどの強い表現になる前に、きちんと私が入ってほしくない境界線は意識して引いていこう、ということですね。
嫌なことはちゃんと、嫌!って言う!!


まだまだ手探りですが、がんばらないで、がんばります。負けない!

結構しんどい話を、最後まで読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m



あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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