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私の思う、世界の仕組み

何者でもない自分の時間が、あなたを前に進めてくれる

こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。


小学生の長い夏休みが終わり、待ちに待った給食が先週始まったことで、やっと一息つけました。

毎年、夏休みの終わりの時期に
「世のお母様方、本当にお疲れさまでした!!!」
と思うのですが、例に漏れず私も先週はお疲れモード、今週になってもまだ回復しきっておりませんw

そして今年の夏休みの経験を通して、直感力を高く保つために必要なことや、神様との繋がり、そして自分との信頼感を強く保つために必要なことに気がつきました。
今回は、そのことについて書きますね。


子どもの夏休みとなると、1日3回食べさせる必要があるのはもちろんのこと、食べるのと相応に食器洗いもあり、そして普段より速いスピードで部屋が散らかり&汚れます。

加えて、宿題もあるし、上の子は夏期講習もあってと、忙しいのは想像できていたのですが、今年は想定外に二人とも宿題のノルマがハード。

それらに付き合いつつ、仕事も忙しい、目まぐるしい日々で
「どうしたら効率がいいか、どうしたら合理的か」
ということを、頻繁に考えていました。

これって、最短・最小の努力で、成果を出す方法を理詰めで考えていた、とも言えますね。


ちなみにこういう頭の使い方をしている時、私は鑑定がうまくできません。
それでも中学受験に並走するには、この頭の使い方は必要なので、上の子の受験が終わるまで、鑑定はお休みさせていただこうと決めた、という経緯がありました。
詳しくはこちら

そしてこういう頭の使い方ばかりをしている時に書く文章は、硬めの文章になります。
たぶん、ここ数ヶ月のブログは、前よりも硬くて、やわらかさの少なめな文章になっていたと思います。


少々脱線しましたが、最短・最小の努力で、成果を出す方法を理詰めで考えることばかりを続けていたら、だんだんと普段とってもお世話になっている
「どうしたらいいかが事前にわかる」
というのが、なくなってきてですね。

普段のそれはどんな感じかと言いますと、選ばなかった方の選択肢を選んだ時にどうなるのかはわかりにくいので、わかりやすいところでお天気の話で行くと…


先日、仕事の後に買い物をして、それから子どもの習い事のお迎えに行こうと思っていたのです。
買い物が終わって時計を見たら、迎えに行ったら少し早いけど、いい頃合いの時間でした。

ところが、お迎えに向かおうとすると、
「帰った方がいい」
と強く入ってきたのです。

あれー?と思いつつ、買い物の荷物を置いてくるかと一度家に帰り、そう言えば洗濯物も取り込んでおこうと取り込んでから、お迎えに出かけます。

お迎えに向かっていたら、だんだんと空の色が灰色を帯びてきて…
子どもと合流した時には、雷が鳴り出して、家に帰るとすぐに雨が降り出しました。

このような小さい「助かった!」が日常の中にいくつもあって、他にも料理の時にも、意外なものを入れるようにと、入ってきた指針?ご指示?に従ってみると、思いもよらぬ美味しいものが出来上がります。
(最近の大ヒットは、ポテサラにピーナッツバターほんのちょっとでした!)


このような、事前にわかる感じ、ご指示やお導きが日常の中にたくさんあって、いつもありがたく受け取らせていただいているのですが、夏休みで理詰めで考えることを繰り返していたら、この感じがほとんど消えてしまいました。

こうなると、私は本来のポンコツ状態で、何事もせねばならなくなり、結果として「ついてないな…」と感じる出来事が途端に増えました。

同時に、全然受け取れなくなった自分は、これまでも本当に受け取っていたのかと、疑問に感じるようになり、なんだか自信喪失ぎみ。

それまでの、なぜか入ってくるご指示やお導きで、いつもラッキーだと感じていた自分は別もので、これからの私はもうそんなふうにはなれないような気持ちさえしていました。


そんな最中、突然、ひとりでゆっくりできる時間が1時間だけできたのです。

本当はこの時間は、積み上がった家事を片付けるべきでは?とも考えたのですが、
「どうしても今だけは、ひとりでゆっくりしたい!!」
という気持ちがして、思い切ってひとりでお茶をしに出かけました。

お茶を一口飲んだら、なんだかぼーっとしてしまって。
読みたかった本を読もうと、持ってきていたのですが、全然読書したかったことも思い出さずに、ひたすらにぼーっと、窓の向こうで流れていく景色を、見ていたような、目にも映っていなかったような。

気がついたようにまたお茶を飲んで、そしてドーナツも食べて、食べ終わったら完全に、ぼー。


20分くらいでしょうか、ぼーっとしていたら、突然
「帰って、掃除しよう」
と思いました。

当初の予定ではもっと長くいるつもりだったのが、早く帰って掃除したいマン。
そそくさと帰りました。

帰ったらまた子どもたちがギャーギャーやっていて、途端に疲れる気がしたのですがw
強く思ったことには忠実に!
掃除をしました!!


普段はまめに掃除してるタイプで(ルンバが)。
にもかかわらず、子どもたちの散らかすスピードに追いつかず、加えて他に優先度の高い家事を優先していたために、夏休み中、荒れ放題の家だったのです。

一週間掃除してない部屋とか、ザラでした(^^;)
(お恥ずかしいぃぃぃ…)

掃除をしながら、
「神棚の下の床もこんなに散らかって…神様に申し訳がないよ…」
なんて思っていました。 


そして、ぼーっとタイムとお掃除を経たら…
いつもの、ご指示やお導きが、戻ってきました。

どうしたらいいか、これをやるとどうなるのかが、必要なことは鮮明に入ってくるようになったのです。

「わーお、元に戻った」
と思ったと同時に、疲弊しまくってボロ雑巾のようになっていた自分が、少しだけ元気になっていたのにも気づきました。

そんなつもりはなかったものの、理詰めで考え続けていたことで、自分に無理を強いていたのかもしれませんね。
(基本的にはぼーっとした人間だしね、私は)


気づいてからの私は、ある程度筋道をつけたら、あとは子どもに任せるように。
そして何よりも、自分が楽しくできる時間を意識的に持つようにしました。
もちろん、掃除も少しでもいいから、毎日どこかしらやれるように気をつけます。

それでも夏休みは疲れましたが、ご指示やお導きを受け取れない私になってしまうことは、起こらなくなりました。


ところで、似たような経験が、これまでの生活の中でもあったのですが、それはピルを服用していた時期です。
(ピル推進派の方、ごめんなさい)

時期としては、脳脊髄液減少症を本格的に発症する前で、その頃、生理前の不調も酷かったのですが、毎月、生理になるとめまいが強すぎて、本当に、物理的に立てなくなっていました。

そうなると、仕事は急遽お休みに、子どもの世話もろくにできず、保育園は近くに住む家族や親切な近所の人が送ってくれていました。

今思えば、それはホルモンや婦人科系の不調ではなく、脳脊髄液減少症のためだったのですが、そんなことに気づくはずもなく、婦人科で相談して、ピルを試してみることにしたのです。

(脳脊髄液減少症のため、というのは、生理になると生理前のむくみが一気に改善する=水が大量に体から抜けていく感じがあったので、結果的に髄圧が突然下がっていたのだろう、ということです。この手の不調は発症後もずっとあり、月経前後の水分量の変動をおさえる漢方を飲むようになって、劇的に改善しました)


ピルを飲んだら、副作用は起こるだろうと覚悟していたのですが、しばらくして気づいたのは、
「あれ、なんだか、勘が鈍ってる。本能と直感だけを頼りに生きてるような人なのに、本気で何にもわからない」
ということでした。

誰でも多かれ少なかれあると思いますが、例えば仕事で締め切りを忘れていても、ギリギリで思い出すとか。
欲しい情報がどこにあるか、なんとなく、すぐわかるとか。
(知ってるということとは別で)

そういう感じに頼って、仕事を回していたのに、本当に、全然、言葉にできない何かがわからなくって、仕事でボロボロたくさんミスをするようになりました。

「これはアカン。仕事忙しい職場なのに、これじゃ重大なミスを犯しかねないし、何より、私が私じゃないみたい」
と思って、そそくさとピルをやめました。

3ヶ月は頑張りましょうって言われていたのに、2ヶ月半でお手上げでしたw


ちなみに、ピルを服用すると、好きな男性のタイプが変わる、という話がありますが、本当です。
本当に、それまで素敵だと思っていた人の、一体どこが素敵だと思っていたのか、全くわからなくなりましたw

ピルすごいな…!!いろんな意味で!!


夏休みのお疲れ事案と、ピルのことを考えると、どちらも
「現代社会の中で合理的に活動することにフォーカスする」
ということが見えてくると、私は思います。

人間が、「動物的で、不条理な存在であること」を忘れて、「合理的で効果的、そして機械のようにゆらぎの少ない存在」として、存在しようとすることを目指す、ということと、言えると思いませんか?

もちろん、これを目指す人や、目指す生き方もあっても良いと思います。


とはいえ、自分のことを振り返った時には、そんな生き方は結局できないし、誰かしんどい思いをしている人がいたら、
「もっと動物的で、ふわふわで、矛盾に満ちたあなたにもどってきていいんだよ」
と声をかけたいと思います。

だって、子どもの時は誰だってそうじゃんね?
表面的にはそんなことなさそうにしているいい子ちゃんだって、話聞いて、一緒に遊んでいるうちに、ただの野生に戻ってくるのが、私の知っている子どもたちの常です。


そう思うと、私たちはどこへ向かっているのでしょうね。
私たちが動物である権利を失わずに、世の中と折り合いをつけて生きていけるには、どうしたらいいかな?と私は時々思います。

そのひとつはきっと、何者でもない自分として、ひとりでゆっくり過ごせる時間。
そして、掃除かもしれませんね!
(掃除は半分冗談、半分本気ですw) 


あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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