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私の思う、世界の仕組み

苦しい時に助けてくれた「まほう」の言葉

こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。


今回は表題の通り、私が本当に理不尽な想いを抱えていて、心身共にどうにもならなかった時に、切り拓いてくれた言葉について書きます。


何を隠そう、バセドウ病の診断を受ける少し前、本当に苦しい状態にありました。

まず、脈が速いことやとても疲れやすいことで、とても体が苦しく、正直仕事を休みたいと感じていたこと。
(初診前でしたが、バセドウ病の症状によるものでした)

さらには、私の置かれていた状況がどのようなものであったかと言うと…
正直思い出すのもしんどいのですが、まず、同じ職場内の人にストーキングされていた、ということがその数カ月前にありました。

本当は、その時点で仕事をやめるべきだったのかもしれないのですが…

職場内のトラブルについて、上司や関係各所に相談はしたのですが、席替えと仕事の担当を一緒に持たない、という配慮はしてもらえたのですが、それ以上のことは上司に権限がないのもあり、何もなされなかった、というのが正直なところでした。


さらには、結局のところ誰の意向であったのかは藪の中なのですが、
「休んでもいい」
という意向であったはずなのに、いつの間にか
「休んだらいけない」
という意向だ、ということになりまして…

律義に仕事に行っちゃったのよね……
本当にしんどかったんですけどね。


全部思い出して、深堀して書くのはとても苦しいので、概要はこのあたりに留めておくことにしまして、端的に言うと、
「どうしてこんな理不尽な想いをしなくちゃならないんだ」
とやりきれない想いを抱えていました。

職場に恐怖心を感じる人がいるのに、
「大丈夫、大丈夫」
と自分をだましだましごまかしていたこともあって、この頃には、自分がどうしたいとか、何を感じているとか、どうするべきなのか、ということが、全くわからなくなっていました。

本当は、もっとずっと前に気づいていた自分の本心を押さえつけたために、そして事あるごとに頭をもたげてくる
「すごく怖い。もうここに居たくない」
という本心を、大人の事情や周りの人への気後れから、存在しないものとして扱っていたことが恐らく原因だったと思います。


そんなこんなでどうにもならなくなっていた私ですが、朝晩のお祈りは、なんとか続けていました。

そんなある日、お祈りの時に、
「あれ、私、『お守り、お導き、お力添えに感謝いたします』って言っているの、何か違うかも?」
と気がつきます。

感謝の対象を限定していることが、違うんじゃないだろうか、と思ったということです。

祝詞を唱えた後に、いつも神様にお伝えしていた言葉だったのですが、私がいつも感謝をお伝えしていることの他にも、きっと私の気がつかないところで、助けていただいたり、もたらしていただいていることがあるのではないか、と気がついたのです。

そう思ってみると、「あれと、これと、それに、感謝します」という言い方をしていては、結局いつまで経っても、感謝を伝えられない取りこぼしができるのではないか、と考えました。


そう考えると、お伝えするべきなのは、
「全てに感謝します」
これ一択です。

ここまで考えが至ってふと、今の自分が置かれた状況を振り返ってみると…

前述の通り、全くもってありがたくない状況にありました。
この状態にありながらも
「全てに感謝します」
と口に出して言うのは、結構勇気がいりました。

だってね、全然全くありがたくない状態でしたからね(^^;)


それから数日の間は、どうしようかと躊躇していたのですが、最終的に、朝晩のお祈りの最後に
「全てに感謝します。今日もありがとうございます。(夜は「ございました」)」
と声に出してお伝えすることにしました。

「全てに感謝します」
この言葉を神様に向けて、宣言のように声に出して言うにあたって、発想の転換が必要でした。

それは、
「人間の尺度で見た時に、ありがたいことに対して感謝する」
ということではなくて、
「人間の尺度で見た時には、全然ありがたくないことだったとしても、今あるもの、これまであったもの全てが、きっと意味があり、そしてありがたいものであるのだ、と受け入れる」
という転換でした。

【人間万事塞翁が馬】というのと同じですね。
全部、何もかも受け入れることにしたのです。


この気づきを得て、そして「全てに感謝します」と言うようになったからと言って、すぐに何かが変わった、ということはありませんでした。

魔法はそんな簡単にかかるものではありませんでした。

ところが「全てに感謝します」とお伝えすることが日常になり、完全に馴染んだ数か月後に過去を振り返り、思い返してみると、私の置かれている状況は大きく変わっていました。

心から、「全てに感謝します」と言うことが、とても自然であるような、そんな穏やかな日常がもたらされていました。

更には、本当に苦しかったあれこれも、今の、そしてこの先の幸せに繋がる、必要な一手だったのかもしれない、と頭をよぎる時もあります。


それくらい、いつの間にか私が置かれている状況は、大きく変わっていました。


「全てに感謝します」
という魔法の言葉を声に出すにあたって、昨日ふと見つけた、私の「思ったこと帳(なんでも書いているノート)」の中に書いてあったことも、きっと大切だと思うので、併せて書いておきますね。

(本文ままです)

神様がどうにかしてくれるわけじゃない。
でも、どうにかするための糸口は与えてくれる。
糸口は、最初の取っ掛かりだけではなく、途中でも教えてくださる時もある。

それらの糸口を頼りに、とても危険な崖に面した道を行くように、ゆっくりと、ていねいに、さぐりながらも前に進んでいくことを、自分でするしかない。

ぼーっとして何一つしていなくても、よいわけじゃなくて、気づいても動かなかったり、受け取ったヒントや糸口を人間的事情や思考で、にぎりつぶしたりしていたのでは、崖のすぐの道はわたれない。

だそうです。
自分で書いたのに、120%忘れていましたw
でも確かに、本当にその通りだと思います。

余談ですが、書いている文体とか、ぴったりこない言葉を消して書き直しているのを見ると、「光子の言葉」というより、なんだか、受け取って書いていた言葉だったのかな?という印象です。
だからこそ、当の私は忘れていたのかもしれないです。


今、このブログを読んでくださったあなたが、どんな状況なのかはわからないですが、よろしければ、本当にしんどい時、苦しい時に思い出したら、声に出してみてみてください。

「全てに感謝します」

ただし、魔法はすぐにはかからないし、受け取った解決の糸口は、とりあえずやってみるのが大事です。

糸口の受け取り方は、ふと思いついたこと、ふとやりたくなったこと、そういうことの中にあることが多いです。
あとは、本当は気づいているのに、やらずに置いておいたり、ないがしろにしていることを改めて取り組んでみるのも、糸口になっていることもあります。

受け取ったものは、荒唐無稽だと思わずに、まずは大まじめにやってみる。

根気よく、根気よく、魔法がかかって、置かれている状況がいつの間にか変わってくるのを待ちましょう。

きっと大丈夫ですよ(^^)



あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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