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私の話

私の話 ① 幼少期

こんにちは!占い師の光子です。


今日から少しずつ、良くも悪くもネタだらけの、私の半生について書きます。
正直忘れていることも多いですが…。
お付き合いいただけたら嬉しいです。



母の故郷の岡山県で生まれました。
そして東京・埼玉で育ち、12歳まではひとりっ子でした。
とはいえすぐ近くに祖父母も、いとこ家族も住んでいて、2歳上のいとこと、兄弟のように育ちました。

10歳頃までは、夕方まで外にいる真っ黒に日焼けした子どもで、食べるのが大好きでした。
給食の時間も、男子の目なんか気にせず、率先してお代わりに行きましたし、個数もののじゃんけんも、本気で勝ちに行く子でした。
今でも成人女性にしては、食べる量は多いと思います。


両親はアートや音楽が好きで、よく美術館やコンサートに連れて行かれて…改め、連れて行ってもらいました。
私はいつも「つまんなーい。帰りたーい」と言っていたので、私のために行っていたのではなかったようです。

子どもの時はアートや音楽を楽しんでいませんでしたが、身近にあったので、結局その後、音楽専攻で芸術系大学に行きます。



霊感については、子どもの時は全くなく「おばけ見たー」と言っている友だちを「本当におばけっているのかなー?大変そうだなぁ」と、異世界の人を見るような気持ちで見ていました。

とはいえ、父方の祖母・父方の祖父の父(曾祖父)・母、と近い血縁者の中に、何度も不思議体験をしている人たちがいたので、潜在的には素養があったのかもしれません。

緑で囲っているのが私。オレンジで囲っているのが、霊感さんです。(他にもいるのかもしれないけど)
両おじいちゃんがイケメンです!二人とも当時にしてはびっくりな長身だし、お顔がきれいでした。


父方の祖母は「千里眼」と周りの大人から呼ばれていました。
大人になってから父に聞いたら「先見の明がとてもあって、その時代の常識にないことも、見通していた」そうです。

父は祖母の助言を受けて、第一志望の就職先を変更したり
(当初の志望先は10数年後に経営破綻)
某疫病でこの1年強、当たり前になっている清潔や消毒についても、気にするように何度も言われたそうです。

「手のひら療法」と呼んでいた、今でいうヒーリングもよくやってくれて、痛いところは祖母が手を当ててくれていると、不思議と治りました。
私の大好きだった占いごっこも、祖母に教えてもらったものでした。


お坊さんだった曽祖父(父方の祖父の父)は、修行中に、雪山で道に迷い、夜になってしまい
「もうだめだ。ここで死ぬんだ」
と思ったところに、通りがかった人に助けてもらったそうです。

その方が宿に連れて行ってくれて、お金も出してくださったので、難を逃れたそうですが…。
翌朝目が覚めたら、連れて来てくださった方がいないんだそうです。
宿の人に聞いたら「今朝早くに、発たれました」と言うそうなんですが…。
お坊さんって3時に起きるんですよ!!
それより前に起きて出発するって…。

もしこの世の者とは思えない方のお助けがなかったら、私はいません。



子どもの時の私の不思議なエピソードと言えば、1歳のまだ喋れなかった頃にひとつだけあります。

雅楽で使う楽器、笙(しょう)のCDを両親がかけていたら、ステレオセットの前でひざまずいて、拝み始めたらしいです。

そして喋れないながらも、両親に「一緒にやれ」と手で促して、3人でステレオに向かって拝んだ、というエピソードがあります。
(親子3人でスピーカーの前で土下座スタイル…想像すると笑えますね)

私自身は記憶にないのですが、その後何度か話題にのぼり「あれは先祖の記憶なのか、なんだったのだろう」という話になりました。

先祖の記憶なのか、魂の記憶なのか…
笙は神様がいらっしゃる場所の楽器と、なぜか知っていた…?


今でも笙の音色を聴くと、不思議な気分になります。
大学生の時、本科と別に専攻する副科で、雅楽を専攻していました。
(ヴァイオリンとかの人が多かったですけど、私は雅楽!!狂言とかも選べました)
ピアノ・ギター・歌よりも、自分の楽器という感じがしていました。

またやりたいのですが、就職と同時に離れて、そのままになっていますね。


つ づ く




あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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