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私の話

共依存ってこんな感じでした その7

こんにちは!占い師の光子です。


共依存ってこんな感じでした その6 のつづきです。

その1 はこちら



こちらの記事でも書きましたが、
適応障害になり2カ月仕事を休みます。

そもそも体力・精神力共にギリギリのところで生活していたこと。
HSPやエンパスでなくても、過酷な職場環境だったこと。

そこに来て、いろんなことに気づいてしまったこと。

薄氷の上でぎりぎり保っていたものが、
気づきをきっかけに氷が割れたように崩壊しました。


自分のデスクで仕事をしていても、突然勝手に涙が出てくる。
ご飯が食べられない。
眠れない。
何も手につかない…。

そして気がつくと
「どうやって死のうかな…?」
と考えている。

そんな私を見た上司から
「しばらく休みなさい」
と諭されて、私は精神科を受診しました。



私が動けなくなると、
「これまでのことは何だったのか…」
と思うくらい、元夫はせっせと働きました。

自分の仕事をし、家事も子育てもしっかりし、
私のお世話までしてくれます。


この時は、俗に言うDVの〈ハネムーン期〉で、
「今まで本当に悪かった」
と謝ってくれるし、普段の何倍もよくやってくれる。

けれど、所詮ハネムーン期なので、そのうちにボロが出ます。
私が回復に差し掛かると、また暴言を吐くようになりました。


その頃には、別居・離婚の話は出ていて、
私はすっかりそのつもりだったので、
彼の引っ越しについて、話を振りました。

すると彼は、
「え?引っ越すの?」
とここから出ていく気などさらさらないことを、
見せつけてくれます。

私が許し、
「やっぱり一緒に暮らそう」
と言うと思っていたのでしょう。



最終的には、
・彼のこの自覚のなさ
・子どもが彼を真似て、私に暴言を吐くようになったこと
この二つが離婚の決め手になりました。


このままお別れしないでいたら、
子どもたちが将来、彼のような人を選んだり、
パートナーを攻撃するかもしれない。

それは子どもにとって不幸なことだと気づき、
「1秒でも早く離れよう」
と決めました。


離婚を決めた人と離婚したくない人、
この二人で話しても平行線です。

最後は私の妹が元夫に、
「愛してるなら別れてあげて」
と言ったことで、渋々承諾して離婚が決まります。


離婚届を提出した帰り道、私は嬉しすぎて、
自転車をこぎながら何度も
「やったー!!!」
と叫びました。





と、罪悪感を乗り越え、苦心して離婚したものの、
10か月後に大きく揺らぎます。


3カ月ほど音信不通だった元夫から連絡があり、
悲惨な生活状況だと知りました。
寂しさから昼夜問わず依存が進み、幻覚すら見ていると…

せっかく心を決めて離婚したのに、私はまた
「どうやったら助けられるだろう?」
という心境に陥りました。

「今度こそ、支援施設に入れるべき?家に呼び戻すべき?」
と大きく心が揺れます。


当時、適応障害から復帰後も、
引き続き精神科でカウンセリングを受けていました。

カウンセリングとセットで診察も受けるので、
診察時に主治医の先生に、彼の話をします。


普段は優しくて穏やかな私の主治医は、
この時ばかりは怒り出し、

「そうやって共依存に戻って自己肯定感を上げるのは、簡単なの。
他のことで自己肯定感を上げなさい。
ダメな人は結局ダメなの。
どうなったって彼の人生なんだから、捕まったって死んだっていいの!!
自分が幸せになることを考えなさい!!!

ときつく叱られます。


離婚=共依存の呪縛も自動的に終わり、ではなく、
関係を完全に切り離すのは別の話でした。

この主治医のダメ押しで、
やっと、やっと、やっと、
別れても元に戻るルートから、抜け出します。




離婚から1年くらいは、元夫を切り捨てたことと、
子どもたちから父親を奪ったことに、罪悪感がありました。

お父さんと一緒にいるよその子と比べて、
自分の子どもたちが不憫になって、
「誰でもいいから早く再婚した!!」
と思っていた時もあります。


今では、 別れたことを後悔することはありません。
罪悪感も全くありません。


今私が送っている日常、手に入れた穏やかな日々、
これらは元夫が隣にいたら、決して手に入れることのできないものでした。

子どもたちも精神的にとても落ち着き、
罪悪感よりも、穏やかな日常を手に入れられたことの喜びを、今では強く感じています。


元夫が
「もう何か月飲んでない!」とか
「最近また調子が悪い。死ぬかも…」
などと連絡してきても、
「ふーん、そうなんだ。がんばって!」
と私の問題ではなく、彼の問題なのだ、
と揺らぐことなく思えるようになりました。


何よりも、自己肯定感が格段に上がったので、
「人に振り回されることもなく、
 好きなことをやって、
 病気にはなったけど生きてるし、
 私の人生全部OK!!じゃない?」
と今は楽観的に思います。

そして彼と結婚しなかったら、
可愛い子どもたちはこの世に生まれてくることはできなかったのですから、
彼と結婚したことすらも、全てOKだった、と思えるようになりました。



共依存ってこんな感じでした 最終回 につづく


あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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